2023年04月21日(日)午前10:30~11:40
復活節第4主日礼拝
説教「心があれば蘇る」 石井和典牧師
旧約聖書詩編49編14~16節
新約聖書使徒言行録20章1~12節

◇ 今週の集会 ◇

≪聖書研究祈祷会≫
4月17日(水)午前10:30~11:30 午後7:30~8:00
 聖書:創世記26章12~22節 
 祈祷題:「定期教会総会のために」

<礼拝前の黙想のために>
簡単に変わる人の心と、永遠に変わらない神の心。この強烈な対比が聖書の中にありますし、私たちが普段人との関係性の中に感じていることではないでしょうか。
私がこの教会に赴任して就任式が行われましたが、その時配布されたしおりにこの御言葉を引用させていただきました。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添えて与えられる。(マタイによる福音書6:33)
あの時も、これからも、私たちにとって大事なのはこの神の変わらない御言葉です。歴史全体を通底して流れるのは、このような神の憐みがあるにもかかわらず、他のものを第一とし(多くは自分の思いや考え)悪い方向へ変化し、変質し崩れ落ちていく人間の姿です。
人間の心は常に変化しますが、その変化とともに向き直ったその方向がどこに向いているのかを確認してみてください。        (石井和典)

次週の主日礼拝

2024年04月14日(日)午前10:30~11:40
説教「助け人は現れる」 石井和典牧師
旧約聖書詩編63編5~9節
新約聖書使徒言行録19章23~40節


≪聖書研究祈祷会≫
4月10日(水)午前10:30~11:30 午後7:00~8:00
聖書:創世記26章1~11節
祈祷題:「白銀教会、白銀・馬場幼稚園新年度の歩みを覚えて」


<礼拝前の黙想のために>
復活をお祝いするイースターですが。毎日曜日の礼拝は、実はすべて復活記念日です。日曜日はキリストの復活の日です。だから、キリスト教の中心は十字架であり復活です。
復活が起こり続けます。大丈夫です。どれだけ壊れても、回復されます。私たちは本能的に体が壊れていくことを恐れ、一度破壊されるともう回復されない部分が多いということを知っています。
しかし、十字架と復活です。死と再生です。神が起こされることは、不思議なことに命が死を飲み込んでしまうという出来事です。だから、死が支配するような現状であったとしても、その状態がやがて打破されるのが、私たちが神を見上げた時に見えてくる内容となります。
先週は洗礼式がありました。洗礼式も水に沈められ(死)て、水の中(死の中)から起き上がるということがイメージされている式です。
死を通過して、復活する。産道を子どもが通って新しい世界に生まれでるためには一度死にそうになるのです。(石井和典)

次週の主日礼拝

2024年04月07日(日)午前10:30~11:45
復活節第2主日礼拝
説教 「悔い改めの風」石井和典牧師
旧約聖書詩編51編11~19節
新約聖書使徒言行録19章11~22節


≪聖書研究祈祷会≫
4月3日(水)午前10:30~11:30
午後7:00~8:00
聖書:創世記25章19~34節
祈祷題:「能登半島地震からの復興のために」

次週の主日礼拝

2024年03月31 午前10:30~11:55
復活節第1主日礼拝 イースター礼拝
「復活を指し示す墓」石井和典牧師 
旧約聖書:創世記22章9~14節 
新約聖書:マルコによる福音書16章1~8節

≪聖書研究祈祷会≫

休 会
(石井牧師が中高生バイブルキャンプにご奉仕のため)


<礼拝前の黙想のために>
窮地に追い込まれていないと、主の御許に行って、その重荷のすべてを下せないのが人間のようです。おひとりおひとりの歩みを拝見していますと、常に窮地と課題しかないことを思います。
息苦しさを感じないと本当に呼吸することがどういうことかわからないようです。全員大変な歩みです。
しかし、主の砦に憩うことが私たちには許されています。主の食卓に駆け込んで、そこで思いの丈のすべてを吐き出して、主に触れていただいて癒していただくことができます。
主のご臨在のあるところ必ず平安が押し寄せてきます。盤石な砦の中に入れられたという感覚のもと、王の御許で憩い、王の力によって主の御業が私に与えられる。助けが必ずあること。最終的勝利が与えられることを信じることができます。
万軍の主イエスのもとに行って、すべてを吐き出して癒され、主の力で守られる自分を発見するのか。ハイエナのようにそこら中を駆け回って餌食とするものを探すのかです。    (石井和典)

次週の主日礼拝

2024年03月24日(日)午前10:30~11:40
受難節第6主日礼拝
説教「聖霊に拠り頼む信仰」石井和典牧師
旧約聖書イザヤ書61章1~4節
新約聖書使徒言行録19章1~10節

◇ 今週の集会 ◇
≪聖書研究祈祷会≫
3月20日(水)午前10:30~11:30 午後7:00~8:00
休 会(祝日のため)

<礼拝前の黙想のために>
卒業と別れの時期です。その一コマをとってみても、神がおられることを見ていただければと思います。神がおられるという信仰によって出来事を見ていきますと、必然的に「感謝と喜び」に満ちるできごとに変わっていきます。
苦しみや悲しみ困難というものは、いつも去ることはありませんが。その背後におられる主のお姿を見ようとする歩みは、世の歩みと全く違ったものとなるはずです。
神学校入学と同時に出会った大澤正芳先生が金沢元町教会から転任されます。送別会を個人的に先週したのですが、確かに大澤先生を通して私に働きかけてくださった主の御業を私は見ることになりました。主のご準備がもう10年以上も前からあったことを思わされて、感謝と涙の時となりました。
腹を割って話しができる友がそこにおればすべての時が喜ばしいときになります。何よりも、主の食卓に招かれている私たちの言葉すべてを主が聞いてくださるのですから、祈りの時は喜び以外の何物でもありません。   (石井和典)

次週の主日礼拝

 

2024年03月17日(日)午前10:30~11:40
受難節第5主日礼拝
説教「神の御心による出会い」石井和典牧師
旧約聖書詩編34編6~8節
新約聖書使徒言行録18章18~28節


<礼拝前の黙想のために>
不安と恐怖。これが私たちにとって人生を左右する重要な要素でしょう。聖書の言葉でいうと「肉」の一部です。目に見える現実をもとにした予測や予断。こういったものが不安と恐怖をあおります。しかし、また聖書は全く別の次元を私たちに提示します。それは「霊」です。
霊というのは、神とのコミュニケーションをするところです。それが一体人間のどこにあるのかはよくわかりません。しかし、確かに人間は神とのコミュニケーションをとれる霊的な存在であることは間違いありません。
そして、この霊と肉は対立することがよくあります。聖書にもこのように記されています。
肉の望むことは霊に反し、霊の望むことは肉に反するからです。この二つは互いに対立し、そのため、あなたがたは自分のしたいと思うことができないのです。(ガラテヤ5:17)
聖書はつねに信仰によって「恐れるな」と語りかけてきますが、私たちは常に目の前のことに恐れます。「しかし、恐れるな」が霊です。(石井和典)

次週の主日礼拝

2024年3月10日(日)午前10:30~11:40
受難節第5主日礼拝
説教「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。」 石井和典牧師
旧約聖書詩編7編2~6節
新約聖書使徒言行録18章9~17節

◇ 今週の集会 ◇
≪聖書研究祈祷会≫
3月6日(水)午前10:30~11:30 午後7:00~8:00
聖書:創世記24章54~67節
祈祷題:「白銀・馬場幼稚園卒園生のために」

<礼拝前の黙想のために>
信じるものたちの結論。行きつく先。それは「回復」だと思わせられるのが、預言書ヨエル書です。ぜひ、一度落ち着いて読んでみていただきたいのですが。
罪を犯したイスラエルはいなごによって食い荒らされ、ボロボロにさせられます。それは神からの裁きの時でもあるわけです。しかし、神ご自身が回復への道を悔い改める民に整えてくださいます。
だからここでもやはり「悔い改め」が重要であることが見えてきますし。イエス様の宣教の一番はじめのことばも「悔い改めよ。天の国は近づいた(マタイによる福音書4:17)。」であることからも、いかに悔い改めがターニングポイントかが見えてくると思います。
命を失って、どんどん腐っていくような感覚に溺れていく時代もあります。しかし、そこから立ち直る道が提示されていることに気づけるのが、聖書と向き合っているということです。
皆様の結論は、回復と復活です。そのために、今どう祈りますか。 (石井和典)