次週の主日礼拝

2023年02月12日(日)午前10:30~11:30
旧約聖書申命記34章9~12節
新約聖書使徒言行録1章1~11節
説教「地の果てに至る証人」石井和典牧師

≪聖書研究祈祷会≫
2月8日(水)午前10:30~11:30 午後7:00~8:00
聖書:申命記32章15~36節
祈祷題:「受験生・卒業生のために」

○早天礼拝:(火)~(金)午前6:00

<礼拝前の黙想のために>
主の取り分はその民。ヤコブがその相続分である。(申命記32:9)
聖書には癒しが満ちています。旧約聖書新約聖書も変わらず、主の心が記されています。その中でも特にわかりやすく、私たちを癒しへと誘うのが、私はルカによる福音書の15章11節以下「放蕩息子の帰還」のたとえだと思います。父は息子の存在だけを求めています。
申命記モーセの遺言も変わらず同じことを言っています。主はただ民をご自分の取り分とされているのだと。
私たちは与えられた人生の中で「何かやってやろう」的な、「死ぬに死ねない」的な、自分中心でものごとを考えがちですが、主が第一に求めておられるのは我々が「ただ帰っていくこと」です。
そのポイントから主の心を受け取って、あとは何の見返りも求めずに、ただお仕えすればよいのです。いっぱいに受け取っていれば力を発揮できます。しかし、受け取りが中途半端だと、隣人に不必要に要求を突きつけてしまうのです。(石井和典)