次週の主日礼拝

 

2023年07月30日(日)午前10:30~11:40
聖霊降臨節第10主日礼拝
説教「なぜ、わたしを迫害するのか」石井和典牧師
旧約聖書イザヤ書62章1~5節
新約聖書使徒言行録9章1~9節

≪聖書研究祈祷会≫
7月26日(水)午前10:30~11:30 午後7:00~8:00
聖書:創世記9章1~29節
祈祷題:「婦人会のために」


<礼拝前の黙想のために>
初代の教会は断食して祈りました。断食というのは肉の欲求を断つということですが、なぜ肉の欲求を断つのかといえば、主の思いの中に入って行くためです。
主の思いの中にはいるためには、自分を捨てないといけません。そうしない限り神様は私たちの中に無理矢理入ってこられるお方ではないので、主の思いはわかるようにはなりません。聖霊が注がれるということも意味がわからないでしょう。
依然として自我が心の王座の中心で、そこから少しも自分が動こうとしなければ物事は見えてきません。
私たちが私たち自身の意思で、自分を捨て、主の思いの中に入らないといけません。それが祈りであり、また断食です。だから、実際に食を断つのも有益ですが、食を断たなくても断食的な祈りはできます。
祈りの最高の形は、自分を捨て私たちが神の心の中に飛び込んで行くときに達成されます。結局のところ、私たちは自分を捨てることができず、自分で自分自身を躓かせてものが見えなくなっているという愚かな状態にあるのです。大切なのは愚かな自分に気付けるかです。 (石井和典)