次週の主日礼拝

2024年02月11日(日)午前10:30~11:40
降誕節第7主日礼拝
説教「熾烈な霊的戦い」石井和典牧師
旧約聖書詩編2編1~6節
新約聖書使徒言行録17章1~15節


≪聖書研究祈祷会≫
2月7日(水)午前10:30~11:30 午後7:00~8:00
聖書:創世記23章1~20節
祈祷題:「受験生・卒業生のために」

<礼拝前の黙想のために>
エス様はエルサレムに王として入場されました。そのお姿はロバにまたがられる姿。謙遜さと柔和さが権威です。真の権威は、「ロバに乗った柔和で謙遜な王」にあります。
我々は何もものが見えていないと言えます。本当に力ある方はこのお方なのに、別の権威や力を求めます。王がまるで別にいるかのような態度です。何か頼りになりそうなもの。周りの人々が賞賛していたりする。すると、その力に寄りかかっていきます。
人間は1秒先のことも予測できません。しかし、イエス様にはご自分が十字架におかかりになられることも見えていました。今このように私たちが礼拝堂に集っていることも。前段階が何年もあってやっとここにいることも。全部お見通しです。
そうです、千里眼
このお方だけです。他の人には何も見えていません。このお方のところに行って、癒しを受け取ってください。主が仕えてくださったように、低くなって礼拝すると、人生が復活します。   (石井和典)

次週の主日礼拝

2024年02月04日(日)午前10:30~11:45
降誕節第6主日礼拝
説教「福音は閉じ込められない」石井和典牧師
旧約聖書出エジプト記20~22節
新約聖書使徒言行録16章19~40節

<礼拝前の黙想のために>
聖書を通読していて気づくのは、主のご意識が必ず最後には実現するのだということです。主イエスがお命じになられたことが、皆様の使命となり。その使命は私たちが信じ受け入れると必ず実現していきます。
人間は様々に心に夢を抱きますが、実現なさるのは主です。だから、はじめから主がどうお考えであるかの実現をはかっていくのが最短コースなのですが。人間の心は最短コースを選ぶのではなくて、徹底的に迂回して遠回りしてしまうものです。一筋縄にはいきません。私はもうクリスチャンとして歩んで23年にもなります。こんなに時間が経っているにも関わらず、信仰生活ははじめの一歩を踏み出したよちよち歩きの赤ん坊のようです。
こっちに頭をぶつけ、こっちにしりもちをつきという感じです。七転八倒の歩みでありますが、そこで主に対して一歩踏み出すだけという遅い成長を遂げる。しかし、主はその遅々たる成長を喜んでくださいます。だから、ゆっくりでも「一歩前へ」です。(石井和典)

次週の主日礼拝

2024年01月28日(日)午前10:30~11:40
降誕節第5主日礼拝
説教「悪霊を追い払う」石井和典牧師
旧約聖書詩編106編44~48節
新約聖書使徒言行録16章11~18節

◇ 今週の集会 ◇
≪聖書研究祈祷会≫
1月24日(水)午前10:30~11:30 午後7:00~8:00
聖書:創世記22章1~14節
祈祷題:「高齢者の健康のために」

<礼拝前の黙想のために>
 絶対に裏切ってはいけない人。絶対にこの人だけのことは守ろうと思っている人。そういう人に対して最悪のことでしかできなかったというところから弟子たちの歩みははじまっていくと言っていいでしょう。
 「絶対にこの人への忠誠は守る」と弟子たちが思っていたのは、イエス様についてですが。その人への不義理をこそ行ってしまうのが人間です。その大失敗から、大切なことにたくさん気づいて行くのです。
 初代教会の使徒たちの歩みというは、信じられないほどに力強い歩みですが。「大失敗」という基礎があってこそ、彼らの強さが生み出されていたことを思います。
この大失敗からの回復が確信されるから、隣人への伝道、隣人が立ち上がる。本当に復活が一人一人の中で起こっていくと信じつつ、教えを手渡すことができたのです。
イエス・キリストの心によってこの地域がやがて復活させられると信じています。(石井和典)

次週の主日礼拝

2024年01月21日(日)午前10:30~11:40
説教「聖霊から禁じられる」石井和典牧師
旧約聖書詩編51編12~14節
新約聖書使徒言行録16章1~10節

≪聖書研究祈祷会≫
1月17日(水)午前10:30~11:30 午後7:00~8:00
聖書:創世記21章22~34節
祈祷題:「新年の歩みのために」


<礼拝前の黙想のために>
 今、イスラエルの人々の叫びが私のもとに届いた。私はエジプト人が彼らを虐げているのを目の当たりにした。(出エジプト記3:9)
小さな一人の人が傷ついていることは主にとっては小さなことではありません。主はその叫びに応えてくださいます。だから、私たちがなすべきことは、「叫ぶ」こと、それは「祈る」ことです。
地震が起こって、できることは何か問いかけますが、できることは限られています。ならば、何があっても「叫び続ける」ことだけは継続していきたいと思います。主が応えてくださることを信じて、信頼のみをささげ続けましょう。
あの出エジプトを起こしてくださった力ある神が小さな一人一人の叫びに応えてくださる日がくることを信頼したい。
泣いていても、すべてを失っても、絶望していても、主のそばにこころを注ぐのならば、確実に道が備えられることを信頼し、愛する友のために私が叫び、愛する友と手を取り祈り叫ぶ日を仰ぎたいと願います。 (石井和典)

 

次週の主日礼拝

2024年01月14日(日)午前10:30~11:40
降誕節第3主日礼拝
説教「異なる意見と対峙するとき」石井和典牧師
旧約聖書詩編92編5~7節
新約聖書使徒言行録15章30~41節


≪聖書研究祈祷会≫
1月10日(水)午前10:30~11:30 午後7:00~8:00
聖書:創世記21章8~21節
祈祷題:「北陸学院のために」


<礼拝前の黙想のために>
彼らは苦しみゆえの激しい試練を受けていたのに、喜びに満ち溢れ、極度の貧しさにもかかわらず、溢れるばかりに豊かな真心を示したのです。(コリントの信徒への手紙Ⅱ 8:2)
試練から試練の日々です。個人的な生活においても、災害を通しても、試練しかないと言わざるを得ないのではないでしょうか。しかし、その現実の中に力を発揮するものこそ、「聖霊の満たし」です。これは御言葉と祈りを通して私たちに注がれる神の心です。
神の心があれば大丈夫です。イエス様の心があれば、たとえ十字架の試練さえも乗り越えることができます。その主イエスは私たちと共にいてくださると宣言なさっています。だから、私たちの務めは、そのすぐそばにおられる主イエスのお姿を発見すればよいということになります。
そこかしこに、主イエスのお支えがあります。その一つ一つを共に発見する復興としていくことができればと願います。
(石井和典)

次週の主日礼拝

新年礼拝(家族と共に守る礼拝)

2024年01月07日(日)午前10:30~11:40
降誕節第2主日礼拝
旧約聖書アモス書9章11~12節
新約聖書使徒言行録15章12~29節
説教「壊れたものが建て直される」石井和典牧師

≪聖書研究祈祷会≫
1月3日(水)午前10:30~11:30 午後7:00~8:00
休 会

<礼拝前の黙想のために>
 旧約聖書を読んでいると特に気づかされるのが「違和感」です。聖書には不思議なストーリーばかりが描かれていきます。水曜日にご一緒に読んでいるアブラハムの記事などは最たるものです。100歳で子供が与えられるのですから。絶対にありえない、生殖能力も失っている。そんな状態から命が噴き出してくる様が描かれています。しかも、神はこれらのストーリーをフィクションとして語りだしておられるのではなくて、現実に起こりえる話として私たちに提示なさいます。
主への信頼がすべてを超えていくありさまがみてとれます。神は信じよと言われ、信じえない出来事が起こるという約束を下さり、信じられないことでも、主がおっしゃるのでと信じ始めると、実際に出来事が起きてしまうという記事ばかりです。
御子がご自身を私たちにあらわしてくださったというクリスマス。これも、奇跡です。神から離れて神の民として歩むことなどできなかったものが神の民とさせられます。      (石井和典)

次週の主日礼拝

≪次週の主日礼拝≫
2023年12月31日(日)午前10:30~11:40
降誕節第1主日礼拝
説教「差別のない福音」石井和典牧師
旧約聖書:創世記12章1~3節
新約聖書使徒言行録15章1~11節

<礼拝前の黙想のために>
主イエスが家畜小屋で亜麻布にくるまった赤ん坊としてお生まれになったこと。これは、私たちが神に近づくことができるようになったということを指し示します。祈ることができるようになり、祈りがすべて聞かれ、主の御心が我が人生において実現するということです。
私たちの「すぐそば」で。私たちに寄り添って下さり。私たちにわかるように、主イエスは現れてくださいます。それは、聖書の預言を信じて受け入れることから見えてくる視点です。
だけれども、信じなければ見えるようにはなりません。人間の意識というのは、自分が向かっているところしか見えません。信じるというのは、その神様がなしてくださる御業を見ることができるチャンネルが与えられるということでもあります。
好きなチャンネルに自分をあわせているのです人間はそれぞれ。
クリスマスは、非常にわかりやすい姿で、すぐここに、私のところにを信じさせる、神からのメッセージです。(石井和典)