次週の主日礼拝

2023年04月02日(日)午前10:30~11:40
受難節第6主日礼拝
旧約聖書イザヤ書11章11~12節
新約聖書使徒言行録3章11~26節

<礼拝前の黙想のために>
まことに「黙想する」ことを実現するためには、ただ主の御前に出ることが重要になります。主の御前に行って、圧倒的な主のお力の御前に屈服するという姿勢にならないと決して「黙り想う」ことができないのが人間のようです。
常に自我が邪魔をして、信仰の芽が芽生え、育つことが疎外されている。そのような状況を痛いほどに味わってきた信仰生活でした。
植物を見ていて気づかされるのは、適切なセッティングがなされれば、間違いなく勝手に成長するのが命であるということです。「勝手に」という次元に至るためには、自分の姿勢がどのようにセッティングされているのかというスタンスの問題に帰らないといけません。
その入口として絶対的に重要な入口の中の入口が「祈り」の中で「黙る」ということです。
愛、喜び、平安と言った命の実りが見て取れる人のところにおいては間違いなくこの祈りの充実ということがあります。(石井和典)